1月30日は「3分間電話の日」。1970年のこの日、日本の通信史に大きな転換点が訪れました。それまで時間無制限だった公衆電話が、「3分間10円」という新しい料金体系に生まれ変わったのです。
今では想像もつきませんが、この時代にはまだテレホンカードも存在せず、100円硬貨が使える「黄電話」もありませんでした。スマートフォンが当たり前の現代人には、10円玉を握りしめて公衆電話に向かう光景など、まるでタイムスリップしたような不思議な光景に映るかもしれません。
公衆電話の進化は、まさに日本の高度経済成長期の象徴でした。1968年に登場した「青電話」は、ダイヤル市外通話を可能にし、日本中の人々をつなぐ架け橋となりました。そして1972年、ついに登場した「黄電話」。100円硬貨が使えるようになり、人々の通信生活は一層便利になったのです。
ただし、この黄電話には面白いエピソードがありました。構造上の制約から釣り銭が出ないため、「100円玉でモシモシ お釣りはデンデン」と揶揄されたのです。しかし、大量の10円玉を持ち歩く必要がなくなったことは、多くの人々にとって大きな朗報でした。
3分間という時間制限は、当初は長電話を防ぐための施策でした。しかし、この制限が人々のコミュニケーションスタイルを大きく変えることになります。限られた時間の中で、いかに要点を伝えるか。そんな新しいコミュニケーションの知恵が、ここから生まれたのです。
1982年には、ついにテレホンカードが登場。これにより、小銭を持ち歩く必要すらなくなり、公衆電話はさらに便利な存在へと進化を遂げました。
今では携帯電話やスマートフォンが当たり前となり、公衆電話を使う機会は激減しました。しかし、「3分間電話の日」は、通信技術の進歩と共に歩んできた日本の近代化の歴史を、私たちに静かに語りかけてくれます。
時代は変わり続けますが、人と人とをつなぐコミュニケーションの大切さは、いつの時代も変わることはありません。3分間10円から始まった通信革命。それは、現代のデジタルコミュニケーション時代へとつながる、大切な一歩だったのです。