プロ野球の誕生と歴史

皆様、2月5日は単なる冬の一日ではありません。実は、日本のプロ野球が産声を上げた、とても特別な記念日『プロ野球の日』なのです。今回は、日本プロ野球の誕生にまつわる興味深い歴史と、知られざるエピソードをご紹介したいと思います。

 

昭和11年、新しい時代の幕開け

1936年2月5日、日本のスポーツ界に大きな革命が起こりました。この日、全日本職業野球連盟(現在の日本野球機構)が設立され、日本のプロ野球が正式にスタートしたのです。当時、野球はすでに国民的な人気スポーツでしたが、このプロ化によって、さらに新しい時代への第一歩を踏み出すことになりました。

 

■黎明期の7つの星たち

設立当初、プロ野球リーグには7つのチームが参加していました。現在も不動の人気を誇る読売ジャイアンツの前身「東京巨人軍」、虎党の誇り「大阪タイガース(現:阪神タイガース)」、そして「阪急軍(現:オリックス・バファローズ)」「名古屋軍(現:中日ドラゴンズ)」などが名を連ねていました。

さらに、「東京セネタース」「大東京軍」「名古屋金鯱軍」という、今では幻となったチームも存在していたのです。それぞれのチームが、独自の色を放ちながら、日本のプロ野球の基礎を築いていきました。

 

■第1号プロ野球選手・三原脩の衝撃的な月給

プロ野球誕生にまつわる興味深いエピソードとして、日本初のプロ野球選手である三原脩選手の存在があります。三原選手は、すでに1934年に東京巨人軍と契約を結んでいましたが、なんとその月給が177円だったというのです!

当時の大卒初任給が64円程度だったことを考えると、まさに破格の待遇でした。この金額からも、プロ野球選手という職業への期待と重要性が垣間見えます。

 

■伝説は監督としても続く

二塁手として活躍した三原選手は、現役引退後も野球界に大きな足跡を残しました。新聞記者として野球評論を執筆する一方で、読売ジャイアンツ西鉄ライオンズ大洋ホエールズ近鉄バファローズ、ヤクルトアトムズの監督を歴任。まさに日本プロ野球の生き字引として、その発展に貢献し続けたのです。

 

■受け継がれる伝統と進化

日本のプロ野球は、時代とともに進化を続けています。年間観客動員数は驚異の数字を記録し、選手たちの年俸も大きく変化しました。しかし、ファンを魅了する試合の歓声や、選手たちの真摯な姿勢は、当時から変わることなく受け継がれています。

2月5日という記念日は、私たちに野球の持つ力と、それを支えてきた多くの人々の情熱を思い出させてくれます。次の試合を観戦する時は、このプロ野球の日のことを思い出してみてはいかがでしょうか。